着物を着た黒柳徹子さん、ニューヨークでチャップリンと出会う
黒柳徹子さんの活動は、司会者、俳優など芸能のお仕事から執筆、ユニセフでの活動など多岐に渡る。
それは常に「新たな出会い」を求めている証でもある。価値観の違う他者との出会いによって生まれるちょっとしたカルチャーショックやコミュニケーションの秘訣、さらには30代の頃のニューヨークでの冒険、そして黒柳さんにとっての重要アイテムである着物への愛着など、前回に引き続き話を聞いた。
インタビュー/構成:佐々木誠(映画監督)
ーー黒柳さんは、毎日お仕事などで新たな出会いをされていると思いますが、その時に心がけていることはありますか?
黒柳徹子(以下、黒柳):常にフラットでいること、でしょうかね。
初めての方と会う前に「こういう人かもしれない」とか「こういうことになるかもしれない」とか余計なことは考えないようにしています。
1971年、38歳の時に仕事を休んで、1年間ニューヨークに留学したんです。
向こうの演劇学校に通って、全然知らない人の中で、英語でコミュニケーションしていましたが、世界中から自由な感覚、ある種の呑気さを持った人たちが集まってて、そこでの交流はとても自然だと実感したことを覚えています。
考えすぎないで飛び込むということ、壁を作らず相手のことを決めつけないでコミュニケーションを取ること、それらはやはり大事だと思います。
そこで受けたカルチャーショックはより多様な考えを自分自身にもたらしますし、そこから新たな世界も広がります。
ーーニューヨーク留学時代といえば、黒柳さんの当時の写真が、若い人たちのSNS上で「カワイイ」と話題になっています。ファッションで影響を受けたものとかありますか?
黒柳:当時のニューヨークで着ている洋服、実は向こうで買ったものはほとんどないんです。
ーーそうなんですか? あのおヘソが出ているファッションとかすごく当時のニューヨークっぽいって勝手に思っていました。
黒柳:そうそう、あのお腹が丸見えのやつね(笑)。あれも日本から持っていった洋服です。イギリスのブランド、ローラアシュレイが好きで、それをよく着てました。
ーーしかしニューヨークの雰囲気によく馴染んでいますね。
黒柳:まぁ、ニューヨークに住んでいる人たちは、実はそんなに洒落た格好はしてないですから(笑)。
ーーそのニューヨーク滞在時にチャールズ・チャップリンにもお会いしたという話を聞いたことがあります。
黒柳:はい、会いました。
チャップリンは、アメリカを追放されて長年スイスで暮らしていて。それが20年ぶりくらいにハリウッドに招かれて(※1972年アカデミー賞名誉賞受賞のため)、その途中でニューヨークに立ち寄ったタイミングでした。
確かロックフェラー財団が主催したんだったと思うけど、チャップリンの映画上映イベントが行われて、彼はそこに招かれていました。
私は そのイベントの様子を撮って日本に送る、というNHKの依頼で、着物を着てカメラマンと一緒に参加しました。
ーーそれはすごいタイミングですね。
黒柳:そうなんです!
それで、ちょうど「キッド」の上映が終わって、会場のロビーを歩いていたら、チャップリンがその先にいたんです!
着物が目立ったのか、彼もこっちを見て、周りにほとんど誰もいなかったから思い切って私「こんにちは!」って挨拶したんです。そうしたらチャップリンが「こんにちは!」って返してくださって。
「私、日本からきた女優です」って言ったら「ジャパン!」って彼の目の周りがみるみる赤くなって涙でいっぱいになって。「私は日本の皆さんにチャップリンさんに会ったことを言いますから、どんなお言付けがありますか」って聞いたら、涙を流しながら「日本の皆さんによろしくお伝えください。日本が大好きです。愛しています」と。
あと「京都!」「歌舞伎!」「鵜飼!」っておっしゃってましたね。
ーー鵜飼ですか?
黒柳:チャップリンは、日本に来た時に鵜飼を見に行ったらしいの。それから何度も「日本の皆さんに愛しているって伝えてください」って言ったの。
ーー気難しい人だという話しも聞いたことがありますが。
黒柳:全然そんなことはなかったです。
とても穏やかな方で、話している間ずっと握手もしてくれて。こんな天才と握手できるのって、なんて素晴らしい体験だろう、って思いました。
その時残念だったのはね、NHKのカメラマンがいたんですけど、チャップリンサイドから写真は撮らないでくださいって始まる前にアナウンスが出ちゃったんです。
チャップリンは目を悪くしているからフラッシュを焚くと目に良くないって理由だったんだけど。今考えたら強引に撮っちゃえば良かった。
私もなんだかその時は言えなくて。あの写真があったらどんなに良いかと今でも思います。だって、私は握手したんですから。あのチャップリンと!
ーーその写真を見たかったです。それは歴史に残る一枚でしたね。
黒柳:そう、本当に残念。
ーーでも素晴らしい思い出ですね。
黒柳:ええ、それはもう。ニューヨークの友達も、みんな羨ましいって言いましたよ!
そうそう、チャップリンと撮った写真はないんですけど、その直後、五番街を私が歩いているところを写真家の人が撮ってくれて。やっぱり着物を着ていたから珍しかったみたいで。
ーーあの有名な写真ですね! その直前にチャップリンと会っていたということですか。それを知ると、あの写真にまたすごい意味が加わりますね。
黒柳:今思うと、着物を着ていたから、チャップリンとも交流できたと思うし、着物って偉大ね(笑)。
私、あの写真気に入っていて、オリジナルTシャツも作ったんですよ。
ーー今も「世界ふしぎ発見!」の収録の時は常に着物ですね。
黒柳:意外かもしれませんが、私は着物が好きなんです。
外国に行った時は絶対、着物の方が何かにつけて得ですし(笑)。ニューヨークに住んでいた時、いつもよそのお家へご飯に呼ばれた時は必ず着物で行きました。
ーー何枚か持っていかれてたんですか。
黒柳:一枚しか持っていなかったんです。母がニューヨーク行く前に手に入れてくれて。結婚式で新婦が白無垢の後に着るような割と派手な、下に綿が入っているような昔風の着物。
それをずっと着ていたんですけど、芸術家のお友達とかみんながすごく可愛いって言ってくれて、何かにつけてホームパーティなんかに誘ってくれて。それは本当に良かったです。
その時の経験から、海外に行く時、ユニセフの活動以外では着物を持っていくことにしています。
次回Vol.3は、黒柳さんにテレビとSNS、舞台と映画、演じることなどについて語っていただいています。お楽しみに!
インタビュー実施日:2023年7月14日
黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)
東京・乃木坂生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI演劇学校などで学ぶ。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は48年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成し20以上の言語に翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。ユニセフ親善大使。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長。文化功労者。日本芸術院会員など。
instagram @tetsukokuroyanagi
インタビュー・構成 佐々木誠(ささき まこと)
映画監督 75年生まれ。近作に「ナイトクルージング」(19)、プロデュース作「愛について語るときにイケダの語ること」(21)などがある。ニューヨーク、ロンドン、フランクフルトなどの映画祭他、イェール大学、南カリフォルニア大学など海外での上映、講演も多数。和田誠氏(イラストレイター/映画監督)とのマコマコシネマトークなど対談イベント、「キネマ旬報」などでの映画評の執筆等幅広く活動。
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