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黒柳徹子さんインタビュー Vol.1

自由が丘で出会った多様な生き方が、私の自由と創造の世界を広げてくれた



撮影:下村一喜


今秋、自由が丘に新しく開業する商業施設、「JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ。以降de aone)」。


ここはかつてリトミック研究の第一人者、小林宗作さんが創設したトモエ学園という先進的で自由な学校があった場所。


そこに通っていた生徒の中に、公立の小学校を“手に負えない”という理由で入学早々退学になった、スパイになりたい「トットちゃん」というあだ名の女の子がいた。


このトットちゃんはもちろん後の、日本を代表するタレントであり俳優、司会者、多数の書籍の著者で、ユニセフ親善大使でもある黒柳徹子さん、その人である。


黒柳さんは、1953年の日本のテレビ局開局とともに芸能界にデビューし、今日までの70年間、第一線で活躍し続けているが、その自由で境界線を作らない姿勢と行動力の原点は、トモエ学園での小林宗作先生の影響が大きいと言う。


de aone内に設置されるユニークなイベントスペース「de aone TERRACE CLUB(デュ アオーネ テラスクラブ)」は、トモエ学園が大事にし、黒柳さんが体現した「自由と創造」の精神を今に受け継ごうとする場所。


そこで、今一度施設開業前にその核心に触れるべく、黒柳徹子さんにロングインタビューを行った。4回に分けてお送りする。


インタビュー/構成:佐々木誠(映画監督)





トットちゃんが、自由が丘で、出会ったもの



ーー初めまして、私は小学校1年生の時、「窓ぎわのトットちゃん」(1981 講談社)を読みました。今回改めて48歳の大人になって再読して、小林宗作先生はじめ、トットちゃんのご両親など大人たちの真摯な行動、葛藤を目の当たりにし感動しました。


時代も場所も超えた普遍的な物語ですね。


黒柳徹子(以下、黒柳):ありがとうございます。


ーー今の黒柳さんにつながる、小林先生との出会い、トモエ学園で得たことを、一言で表現すると何でしょうか? 黒柳やっぱり自由。「自由が丘」って地名の由来になるくらいですから。自由の尊さだと思います。


ーー小林宗作先生は、黒柳さんにとってどういう存在だったのでしょうか。


黒柳小林先生にお会いしてなかったら今の私は間違いなくないはず、おそらく人を理解しようとはしない人間になっていたと思います。


ーー著作「トットの欠落帳」(1993 新潮社)にも書かれていますが、黒柳さんは幼少期から自身の「欠落」を自覚していましたね。そんな欠落を抱えて悩んでいる子どもたちが今もたくさんいると思います。


子どもたちはその悩みとどう向き合えば良いのでしょうか。また我々大人ができることはありますか?


黒柳それは、やっぱり小林先生に会ってもらわないとダメですね。でも、もう小林先生はいないので、先生みたいな大人が増えないとダメだと思います。


小林先生は私たち子どものことを理解しようとしてくれた。それが私たちにも伝わった。そういうことが大事なんだと思います。


私が公立の小学校を退学になって、初めてトモエ学園に行ったその日に、小林先生は4時間ぶっ通しで私の話を聞いてくださいました。そういう大人でした。


ーーそして、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と言葉をかけてくれた。


黒柳はい。その言葉で私は救われました


ーー80年近く経った今でもその想いはありますか?


黒柳あります。やっぱり小林先生に会っていなかったら、さっきも言いましたが、ちょっと違う人間になっていただろうな、と思います。


ーー今のようなお仕事もしていなかったかもしれない?


黒柳仕事はちょっとわからないです。先生は仕事については何もおっしゃらなかったので。でも、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と言ってくださったように、それで良いんだよって、見守ってくださったと思います。


ーー80年前に小林先生のような多様な考えを持つ方がいて、先進的な教育を実践されていたことは驚きです。ここに来て日本でもようやく多様性という考え方が少しずつ浸透してきていますが、まだまだと感じます。


それはどうしてだと思いますか?


黒柳それは相手を認めようっていう気持ちが足りないんじゃないのでしょうか。


大人同士でも、子ども同士でも、大人と子どもでも、やはり相手を表面だけで判断するのではなく、その行動の奥底にあることを理解しようとすること、そして相手の欠落を認め合うとことが大切だと思います。

そういったことがまだ足りていない気がします。


ーートモエ学園で過ごした時間は、黒柳さんの人生を変えたと思いますが、自由が丘の街自体に特別な思い入れはありますか?


黒柳あります。その後も家族で住んでいたこともあるんですけど、とっても居心地が良い街でした。


近くの九品仏は木々が溢れていて自然豊かな部分もあるし、トモエ学園や石井漠先生(注:日本における西洋舞踏の第一人者。「自由が丘」と言う地名の名付け親とも言われる)の稽古場なんかもあって、名前の通り自由な風潮がありましたよね。

そうそう、映画館もいくつかあって、南風座というリバイバルではなくちゃんと封切りが上映されている映画館によく観に行っていました。


多くの老若男女が、自己表現をして、それぞれコミュニケーションも盛んに取って、新しいカルチャーが生まれていた場所だと思います。


ーー現在の自由が丘も、街並みはもちろん変わっていますが、古くから住んでいる方たちと最近住み始めた若い人たちとが一緒になって、新しい文化を作ろうと取り組んでいます。


街の気風が脈々と受け継がれているのかな、とお話し聞いて思いました。


黒柳それはとっても嬉しいことですね!




Vol.2では、価値観の違う他者との出会いによって生まれるちょっとしたカルチャーショックやコミュニケーションの秘訣、ニューヨークでの冒険、そして黒柳さんにとっての重要アイテムである着物への愛着などを語っていただいています。お楽しみに!



インタビュー実施日:2023年7月14日

 

黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)

東京・乃木坂生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI演劇学校などで学ぶ。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は48年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成し20以上の言語に翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。ユニセフ親善大使。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長。文化功労者。日本芸術院会員など。 https://totto-chan.jp

instagram @tetsukokuroyanagi




インタビュー・構成 佐々木誠(ささき まこと)

映画監督 75年生まれ。近作に「ナイトクルージング」(19)、プロデュース作「愛について語るときにイケダの語ること」(21)などがある。ニューヨーク、ロンドン、フランクフルトなどの映画祭他、イェール大学、南カリフォルニア大学など海外での上映、講演も多数。和田誠氏(イラストレイター/映画監督)とのマコマコシネマトークなど対談イベント、「キネマ旬報」などでの映画評の執筆等幅広く活動。


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