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コムアイさん・太田光海さんインタビュー(中編)

更新日:2023年10月18日

前編で映画『La Vie Cinématique 映画的人生』について語ってくれた二人。


学生時代から社会問題に関心を持ち、同時期に古典芸能にも魅せられたというアーティストのコムアイさん。現在、映画『La Vie Cinématique 映画的人生』を共同で制作中の文化人類学者で映画監督、そしてパートナーである太田光海さんは、彼女の稀有な存在感はその独特な思考や体験のプロセスから生まれていると言います。


インタビュー中編では、二人がパートナーになるきっかけにもなったインドへの旅、学生時代のエピソード、そして、二人が大切にする「リアル」な場から生まれるインスピレーションについて話を聞きました。


インタビュー/文 : 堀薫


コムアイは魅せられた古典の現場に行き芸能を磨く


ーコムアイさんが古典芸能に目覚めたきっかけはなんだったのでしょうか?


コムアイ:「水曜日のカンパネラ」に参加して何千人ものお客さんの前でライブをするようになった時、「私は今、一体どういうことをしているんだろう」と考えるようになりました。

ステージの前でパフォーマンスをすることで観客の気持ちが一体になっていく。でもうまくいったりいかなかったりするし、自分がトランス状態になったり、ならなかったりもする。


それはどういうことだろうと疑問に思いはじめた時に、世阿弥の「風姿花伝」を読んでみたい、日本で長く続いている古典芸能や地域の芸能の現場を訪ねてみたいと思ったのです。そういうものをお手本にしてもう少し考えたいなと。

日本に住むのが楽しいと思えるようになったのは、民俗学や芸能のおかげです。大学生の頃に民俗学の本(折口信夫や宮本常一)を借りて読み、だんだん面白いと思うようになって。民俗学の中には自然に芸能が出てきますし、地域で独自に発展していった文化に焦点を当てていくと、その地域の死生観や生活の様子を窺い知ることができます。そうやって実は身近にあった文化を深掘りしていくことがとても楽しくてのめり込みました。


ーいくつかの地域に足を運ばれたそうですね。

コムアイ:民俗学の本の記述に面白さを感じてから実際に行って体験するとやはり感動が違います。アニメを見て聖地巡礼するのと同じです。岩手県の遠野はそんな場所に溢れています。400年前から今も続いている、若者が夜通し踊るような岐阜県の盆踊り「郡上おどり」や「白鳥おどり」に行った時もすごく感銘を受けました。日本各地に散らばる能の舞台になった実際の現場を訪ねるだけでも、感動します。



ーコムアイさんは海外の古典を探る旅にも出かけていますね。インド古典音楽ラーガとの出会い、そして魅力についてお聞かせください。


コムアイ: 北インドの古典音楽ラーガの歌をインド人にYouTubeで見せてもらい、聴いた瞬間に虜になりました。瞑想的な時間感覚が特徴で、海の底に引き込まれるような魅力のある音楽です。


夕焼けを見て誰かを想うロマンチックな気持ちや、朝もやがかかった空気の中の祈りの時間など、雰囲気だったりエモーションや景色みたいなものをインドの人は昔から音と結びつけてメソッドにしていました。


©︎Akimi Ota

朝や昼など「時間帯」と結びついているラーガや、雨の時に歌う「気候」が結びついているラーガもあります。基本的に使う音階(スケール)※が決められていて、即興する時には完全な自由ではなく、ルールに基づきながら変化をしていきます。


インドの古典音楽は北と南で大きく分かれるんですけど、私が習っているラーガは「ヒンドゥスタニー」と呼ばれる北の方の流派です。私は滞在するのは南インドの方が好きなので、南に居ながら北のラーガを教えてくれる人を探して私より年下の先生に出会いました。


妊娠してからインドで習うことができていないのですが、声が前よりも安定した低い声が出たり、真っ直ぐ声を伸ばすことがしやすくなったりしました。体のバランスや重心が変わったせいでしょうか。お腹に水があってどっしりした感じの方が、私は歌いやすいのかもしれないですね。


※SA RE GHA MA PA DHA NI SA(サレガマパダニサ)という西洋のドレミファソラシドに対応した音階


ー友人だった太田さんとの距離が縮まるきっかけとなった昨年の旅で訪れたのはインドのどんな集落でしたか?


コムアイ: 現地に詳しい知人の案内で友人たちとゴンド族、バイガ族とワルリ族の集落を訪ね、博物館や資料館で美術鑑賞したり、各地のアーティストたちに会ったりしました。


刺青が有名なバイガ族は女性だけ顔にも身体にも刺青を入れています。それぞれの模様が抽象的ではあるけれど意味を持っていて、どの人もほとんど同じ模様です。ゴンド族の描くのはデフォルトされた動物や木で、ビビッドな色彩の大きめの点描で構成された絵でした。※

モンスーンの時期だったので、雨の影響で道が塞がりムンバイの街に戻れず、ワルリ族の集落に長く滞在しました。どこにも出られずにずっと雨の中、停電で過ごしたのがすごくいい思い出です。ワルリアート画家の兄弟のお家に泊めてもらい、懐中電灯の明かりで絵の描き方を教えてもらったり、それぞれの持っている怖い話をしたり。


©️Akimi Ota

ワルリ族の伝統的な絵は、壁をキャンバスとして、牛糞を解いたものを塗るのですが、それが虫除けにもなり、臭くなくワックスみたいに艶々とした下地になります。その上に米のペーストなど天然素材を原料にした白い絵の具で、村の儀礼の風景などを題材にし、緻密な線画で人物を棒人間のように描いていくという、ゴンド族とはまた全然違うスタイルでした。


インドはどこに行ってもゲストを暖かく迎えてくださる方ばかりでした。おばちゃんたちが美味しいごはんを本当に当たり前に振る舞うから、食いっぱぐれがなかったですね(笑)。ワルリのお家では一緒に鳥を絞めて丸ごとカレーを作ってくれたこともありました。


とにかくそうした心温まる経験をする日々だったので、日本で「自分のことは自分で責任を持って過ごしていかないといけない」と思って生きている前提とは全く違う感覚でいられました。その時は「絶対日本に戻りたくない!なんで戻らなければいけないんだ」と思うくらい楽しかったです。


©︎Akimi Ota

まぁ帰ってきたら帰ってきたで楽しいんですけど、日本も(笑)。


太田:モンスーンの時期に土砂降りの中停電という体験は、アマゾンで1年暮らした僕にとってはあまり珍しいことではなかったので、「まあこんなもんか」と衝撃はなかったんですけど。でもまぁ素敵な時間でしたね。インドにしかない人の暖かさや風土には物凄い刺激を受けました。


※インド中央部のマディヤ・プラデーシュ州近郊の先住民族のパルダーン・ゴンドの書く絵はゴンドアートと呼ばれている。タラブックスの「夜の木」は日本でも人気


太田光海が初インドで得た新しいスタイルとは?


太田さんはフィールドワークで海外のいろいろな場所に行かれたと思いますが、インドの旅はそれらと比べてどうでしたか?


太田: 僕、風貌や雰囲気だと思うんですけど、ずっと「インドに行ってそうだよね」と言われていたんですが、昨年のこの旅が初めてだったんです。


日本でも世界でも僕みたいなタイプの若者は大体20代前半にインドに行くという、一つのイニシエーションのような場と見なされていますが、僕自身は、自分の経験や感覚があまり深まっていない若い内より、さまざまな旅を重ねた後33歳で行ったことで逆にインドを深く見つめることができたと思います。


一緒に同行していた友達が全員アーティストだったので、初めて学問的目的ではないフィールドワークを体験しました。僕が今までひたすらやってきた人類学者としてのフィールドワークは、1年とか2年現地で過ごして彼らの生活の全てを共有しながらリサーチしていくのが至上命題。でもアーティストたちはもっと軽やかにたとえ1日だけの滞在でもフィールドワークした実感がある。そのことを「これでいいんだ」と思えたのが新鮮でした。


自分には長期の学問的なフィールドワークを行う素養もあるので、長期か短期か、どちらのスタイルでも自由に選んで調整できるきっかけになりました。1日や1週間でも持ち帰れるものはあるし、1年や2年に渡る長期間の場合はまた性質の違う体験になる。


今までと違うスタイルで現地と関わったり、違う感性で物事を見るということを知り、一歩ひいた距離で自分のスタイルを見つめ直せた、というのは大きな経験になりました。


「人類学」や「民俗学」の見地から生まれる表現の特徴とは?


太田:人類学と民俗学って学問的に差はあるんですけど、かなりルーツが近いところにあります。


異文化を自分の中に取り込む際に、日常をただ生きているだけではそれは簡単には入って来ません。入って来させるために有効な扉が「人類学」や「民俗学」だと思うんですね。


この学問の先人たちは近代化によって失われゆく文化的な豊かさや価値観を救い出そうとしたり、今の我々の常識以外の可能性がまだあるという事を示そうとして、これらの学問を発展させてきたと思います。


僕自身は人類学で博士課程に進みました。人類学の場合、学んだ成果を論文に残し終了しますが、それを違う表現としてもう一度自分の中から表出する作業を「映画」でやっています。


コムちゃんが色んなものからインスピレーションを受ける時、意識的か無意識的かはわかりませんが、その扉になる存在として「人類学」と「民俗学」が傍らにあると思います。


©Akimi Ota

現状の社会の常識や価値観をいったん解除して深く潜っていくという作業をし、それをもう一度表現として出している。学問の枠にとらわれていない姿勢が面白いし、ルートは違えど共通項があるのかなと思っています。


学問の枠に捉われないアーティストならではの強みとは?


太田:僕の場合、「人類学者」として見なされてしまうと様々な制約に囚われ、それから外れたときに批判の対象になりやすいです。アカデミックな世界では簡単に自分の「専門」を変えることができないので、アマゾンの専門家として人類学の場にずっと留まる責任を求められてしまう。例えば急に「僕、今からインドをやります」と専攻を変えるのは簡単ではないです。だけどコムちゃんはアーティストなのでそこにこだわらず色んなところに飛んでいけるという強みがあります。


コムアイ: 曲ごとにインスピレーションとなる地域が違ったり。ある意味でチャラくいれるのはいいよね。その人の感性で。


太田:チャラくいれるのはアーティストの良いところで。学問的な厳密性とか責任を問われることはない。文化盗用と捉えられることもあるかもしれませんが、別に全部釈明しなくてもいいとも思っています。


コムアイ:その人の感性で表していいってことになるんだよね。でも学問も実際、感性によるところも大きいのにね。


太田:そう。基本的にはアートも学問もすごいルーツを遡ると分離していない時期も長かったので。これを話始めると長い学問の話になってしまうんですけど・・・。


コムアイの手がけるアートと社会問題の関係


ー水曜日のカンパネラのメンバーとしてアーティスト活動をする遥か前から社会問題に関心を持たれていたそうですが、初めにどんな思いを持ち、どんなアクションを起こしてきたのですか?


コムアイ:私立の大学附属の中高に入ったんですが、そうすると10年間保証されるわけじゃないですか。そこそこ勉強していれば大学も卒業できるというのが中学1年生の時に決まってしまう。そうなると「どういう勉強するか」というよりも「どういう職業につくか」「どういう大人になるか」「社会に出て何をするか」ということに興味が湧いて来ました。


周りに家族や先生とか、いい人はいっぱいいるけれど、私のキャリアの参考になるような人、今の自分の周りにいるような人には中学生の時には会えなかった。サラリーマン、主婦、学校の先生とかしか周りにいなくて自分の将来に行き詰まり感がありました。

バイトという手段もあったかもしれませんが、私はNGOに関わることが社会との接点になりました。吹奏楽部に入っていた時はコンクールに向けての練習にも面白さを感じましたが、NGOの方が自分にとってより楽しく感じられたので。


「自分の労力や時間をもっと世の中から目を向けられていない事のために使いたい」とか「地雷撤去の募金に関わりたい」という思いが強く、放課後にピースボートの事務所に通い始めたのがきっかけで、いろんな社会問題に興味が湧きました。


中学3年生から高校2年生くらいまでは放課後にピースボートの事務所やそこで出会った友達と週末に畑に行ったり、デモに行ったり資料館に行ったりするのが青春でした。高校3年生の夏に1か月間程友達とキューバに行った時には、全く違うイデオロギーの国を目の当たりにして、同世代でも異なる考え方をする人の存在を実感しました。


その後、「どうしたら世の中もっとよくなるのか」という基準で全部をジャッジしてしまうのが窮屈に思えたし、アクティビストとして成長していくより、もう一つ全然違うジャンルのことを身につけたいと思っている時に誘われて音楽を始めました。


最近の活動は中高生当時にやっていたことと、それ以降の音楽活動でやってきたことが合流してきた感じがします。


ホームレスの人たちなどを支援するNPO法人抱樸の理事長で牧師の奥田知志氏と、長崎市の出島メッセ長崎で行ったトークイベントにて

コムアイさんの最近の作品を拝見すると、まずアートとしてクール、同時に社会に問題を投げかけているような気がします


コムアイ:そう受け取っていただけてありがたいです。中高生の時になんでもっとみんな社会問題に興味をもってくれないんだろうと考えた時に、「真面目なことはなぜかっこよくないんだろう?」と思ったんです。


神宮外苑の樹木伐採に反対するイベントでスピーチをするコムアイさん

私にとっては充分面白いし楽しいんですが、学校の友達に興味を持ってもらうのは簡単ではなくて。


その頃から「どうやったら違う方法で伝えられるかな」というのは課題として自分の中にありましたね。


太田:コムちゃんから出てくる表現は、特定の思想やライフスタイルに精通した人だけでなく、その外側にいる人にとってもかっこいいと認められるものだと思います。



アートフェア「EastEast_Tokyo 2023」にてパフォーマンスを行うコムアイさん


その上で、民俗学的なものも、環境問題もミャンマーや難民問題などの時事的なものも、他の人ができないような形でミックスしている。「現代的流行の最先端から太古より続く文化フィールドまで、どこにいても違和感のない稀有な存在」で、そこが一人のアート好きとして魅力を感じる部分です。


僕は日本で過ごしていて、どうしても自分を日本で開花させるのが難しいと一時期八方塞がりに感じてしまうタイミングがありました。そこで海外に飛び出して10年くらい過ごし、色んな経験を蓄積して今の自分があります。


一方、コムちゃんの場合、基本的には日本に留まりながら、自分と同じような思考や体験のプロセスを重ねていた気がします。日本国内にいながらそれができるのは凄いなと思います。


※例:Pwal! Pwal! Pwal!(ポエポエポエ)#1 -Stay with Myanmar-のyoutubeの冒頭で、鍋や金物をたたいているのは、ミャンマーで伝統的に悪魔祓いをする伝統が、クーデター後から、悪魔をミャンマー軍の独裁者に例えて抗議の意味を含めて行っている表現


次回でいよいよラスト後編では二人が考える自由が丘の魅力、この街から得たものなどを語っていただきます。お楽しみに


インタビュー実施日:2023年6月7日



 

KOM_I(コムアイ)

1992年川崎市生まれ。「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内外でツアー・フェスに出演したのち2021年9月に脱退。 岩手のしし踊り、インドの古典音楽、アイヌ音楽など幅広い伝統芸能にインスピレーションを受けながら音楽性の幅を広げている。音楽活動の他にも、ファッション、アート、カルチャー、社会課題(『YAKUSHIMA TREASURE』,「HYPE FREE WATER」難民問題など)を積極的に発信している。映画「福田村事件」には女優として出演している。 Instagram: @kom_i_jp


太田光海(おおた あきみ)

1989年東京都生まれ。映像作家・文化人類学者。神戸大学国際文化学部、パリ社会科学高等研究院(EHESS)人類学修士課程を経て、マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターにて博士号を取得。アマゾン熱帯雨林のシュアール族の村に1年間滞在・撮影した初監督作品『カナルタ 螺旋状の夢』を2021年公開。現在制作中の『La Vie Cinématique 映画的人生』は2024年完成予定。

Instagram: @akimiota 

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