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コムアイさん・太田光海さんインタビュー(後編)

インタビューシリーズの最後、後編では、二人が10代だった2000年代の自由が丘について話しが及びます。そして、この街の魅力や可能性、さらに課題に至るまで、さまざまな街を見てきた二人ならではの話しが展開します。


インタビュー/文 : 堀薫


ー太田さんは8歳から10年間(1998年~2008年)自由が丘で過ごされたということですが、当時の様子を教えてください。


太田:僕の家庭は引越しが多かったのですが、小学校3年生の時に自然豊かな静岡県の三島市から自由が丘に引っ越してきました。


三島では、田んぼに囲まれながら、家のすぐ前の滝の音と蛙の声を聞いて過ごしていたので、自由が丘に来たばかりの頃は、落ち着いた都会の街で、品がよく、裕福な友達が多いことにとても衝撃を受けましたね。三島に住む前に4か所ほど暮らした都内のどの街ともまた違う印象でした。


街の規模はコンパクトですが、古い商店街もあるし、先進的なおしゃれな雑貨屋や自然食品のお店、どこかフランスっぽい店も沢山あり、まさにごった煮でした。マリ・クレール通りの風景に、パリやヨーロッパへの潜在的な憧れが芽生えたり、そのことで後々住むことになる向こうの文化に溶け込める素養ができたのかもしれません。


2006年夏、自由が丘マリ・クレール通り。1年間のオランダ留学から帰国直後の太田さん。

僕が通っていた目黒区立緑ヶ丘小学校は校舎が新しく建て替えられたばかりの先進的な建物で、ピロティやビオトープがあり、音楽室も不思議な構造をしていたのが印象的でした。教室には扉がなく、廊下と教室が直結していて空間を自由に行き来できるオープンな環境だったので、校内に新鮮な空気が流れていた記憶があります。


引越したての頃、三島でそうだったように僕は小学校に毎日ジャージで通っていたんですけど、隣の席の女の子から「なんでジャージで来てるの?」と言われてめちゃくちゃ驚いた思い出もあります。


―太田さんのご両親は事実婚だったそうですね。それについて子ども時代にどう思っていましたか?


太田:子どもによくないからと事実婚や夫婦別姓に反対する意見もあるようですが、僕自身、親が事実婚だからといって特に支障はありませんでした。


子ども時代と大人になってからの感覚は違います。子どもの頃は目の前にどれだけ有名なレストランがあっても、ただ単に「レストランがあるな」としか思わないですよね。それに近い感覚で周りの友達は、僕と妹が苗字が違っても「おまえらんとこ親同士結婚してないんじゃん。やべーじゃん」みたいなことは一切言わず、そのまま受け入れてくれました。


自由が丘は学校だけでなく、街全体が自由でリベラルな発想で、いろんな価値観に対して開いている人が多い印象で、国際的なルーツを持つ子や帰国子女が違和感なく溶け込んでいました。


ー今は街に映画館はありませんが、太田さんは「武蔵野館(2004年に閉館)」での思い出はありますか?


太田:閉館したのは中学2年か3年生の頃でまだ映画に開眼してなかったので、普通に少年が見るような映画を見ていた気がします。子どもの頃見た記憶があるのは映画版の「名探偵コナン」や「ポケモン」のミュウツーの映画。ミニシアターっぽい映画を上映してたのか当時の記憶はありません。


僕が映画好きになったのは、パリでシネマテーク・フランセーズに通い、古今東西の名作からマイナーな実験映画まであらゆる種類の映画を浴びるように見た時からなんです。


ーコムアイさんの自由が丘の思い出はどうですか?

コムアイ: 小学生から高校生まで、ちょくちょく行っていました。宮崎台で育ったので東急沿線の街で遊ぶとなると選択肢は渋谷か自由が丘。


中学生の頃、友達とお買い物やカフェに行った時に、お金を払わなくてもベンチで休める場所が結構あった※1のがよかったです。 緑と充分なスペースがあって気持ちがよい場所でした。


高校3年生の時、自由が丘に住んでいた卒業論文担当の先生に会いに行って、先生がカフェで子どもを抱っこしながらレポートを添削してくれたのも良い思い出です。



※1(九品仏川緑道(くほんぶつがわりょくどう)は、自由が丘駅南口の「マリ・クレール通り」と並行した目黒区と世田谷区にまたがる約1.6kmにわたる緑道。他人が向かい合っても気にならない距離感で多くの人が集うベンチエリアがある。2014年に、パブリックスペースの専門家のヤン・ゲール氏が調査に訪れ「このような公共の場に居場所を作る事が様々なアクティビティを生む」と絶賛した。プランターとベンチは自由が丘の地元区民が購入したもの。春には美しい桜並木が楽しめる)


自由が丘の未来を考える


ー昔と今、そしてこの先の自由が丘について思うことはありますか?


コムアイ:私がよく行っていた頃は、ヨーロッパに憧れがある人が開いたお店が多かった印象があります。高校生になると、もっと危ない面や汚い面がある街の文化に惹かれ、自由が丘には違和感を感じるようになり、渋谷のミニシアターに映画を見に行くようになりました。なので「清濁入り混じった文化」を自由が丘に感じた事がありません。これは東急沿線の他の街にもいえることですね。


太田:まだ日本でしか暮らしていない時に、それは僕も小さなコンプレックスとして感じたので、新大久保や高田馬場に憧れました。ああいう清濁入り混じったところが東京にあるんだと気づいた時に、自由が丘は東京でも特殊な場所なんだと実感しました。


ーそれは物足りないとか綺麗すぎるとか?


太田:一時期そう思っていたことはあります。例えば予約を取ろうとしたら全然取れない高い評価のあるビーガンレストラン「菜道」のような先進的なお店や、この街にしかないお店を評価している一方で、どこかもっとアウトサイド的なものに憧れていた時もあります。

あと学芸大学駅や祐天寺駅までは多いのですが、自由が丘には古着屋がなかったんですよね。僕の前の家の近くにBINGOって古着屋があったんですけど、それがオープンした時に、「やっとできたか」と思ったくらい少なかったですし、中古CDショップなどもありませんでした。


ヨーロッパやナチュラルなテイストの雑貨や洋服、ビーガンレストランなど、どうしてもクリーンでハイソサエティなものに偏りがちかな、と。六本木や表参道のようなギンギンなハイクラスのものと比べると、ちょっとこなれたコージーなものが多いとも感じますが。


ーJIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)が新たに自由が丘に加わりました。現在、駅前を初め再開発が続いて街が新しく生まれ変わるタイミングだと思います。どんな街になって欲しいですか?


太田:自由が丘について勿体ないなと思うのは、オーガニックやビーガンといった指向、あるいはナチュラルでエコロジカルな素材へのこだわりなど、現代の世界にとって重要なメッセージ性を持つ物事がこの街にたくさん存在しているにも関わらず、どうしても「マダムの街」だとか「金持ちの街」といった印象が強すぎて、結果的にもっと世の中に伝わるべき大切な文化や取り組みのイメージダウンにつながってしまっていることです。


例えば、今や世界的にはオーガニック食品を買うことは金持ちの特権ではなく、農地を有害な農薬から守るために消費者が行えるアクティビズムの一つだと見なされているし、ビーガンフードを食べることは家畜たちを劣悪な環境から開放することで、ひいては自分たちの健康を同時に守ることにもつながる、と認識されています。また、ファッションにしても、丁寧に育てられた良質の素材を使うことは、地球環境にもそれに関わる労働者にとっても意味があることだと考えられています。


自由が丘が今挙げたような物事において、日本で先端を行く場所の一つであることを理解できたのは、長年海外を回って帰ってきてからのことでした。それまでは自分が自由が丘で育ったことは「金持ちのお坊ちゃん」と呼ばれ続ける烙印でしかないと思っていたんです。もちろん僕自身が知識不足だったこともありますが、自由が丘が本来持っている良さがもっと人々の社会的バックグラウンドの垣根を越えて伝わると良いなと思っています。そのためには、自由が丘でもっとパンクで尖った取り組みが起こることで、ハイライフなイメージが少しでも崩れる方がいいのかな、と。自由が丘が大正デモクラシー期にかつてそうであったように、再び文化の地殻変動の中心になったら面白いですね。


コムアイ:古くて小さな個人店や、消費を促さないベンチのある広場、緑のたっぷりある空間が、東京じゅうの開発で無くなっていくのがとても虚しいです。無くしてしまうと育てるのにとても時間がかかるものなので、大事にのこしてほしいです。

テラスクラブの未来を考える




ーテラスクラブの活動は元トモエ学園※2の跡地にできる100坪のテラスで開催します。このスペースをお二人だったらどう使いますか?

太田僕が今重要だと思っている映画の一つの流れにスローシネマというムーブメントがあって、アピチャッポン監督※3やタルベーラ監督※4などがその系統に入ると思います。

僕らは日常の生活を送っている時に、自分の脳が適切に事物を認識し制御していると思っていますが、実は状況に強く規定された時間感覚で生きていると思うんです。例えば、僕は今東京に拠点を置いているので、アマゾンで生活しているときに比べて自分の時間感覚が極限まで忙しなくなっているとわかっています。頭ではなんとか意識することができますが、身体は時間感覚に勝てずに飲み込まれ、自分の無意識の行動がそこから逃れるのがとても難しい。


その意味で、オープンスペースや僕の好きなアピチャッポン監督、それから自分が作ろうとしている次の作品には、時間の流れを変える力があります。時間の流れが一時的だとしても変わった瞬間に、気づくことだったり自分から湧き出てくる表現があると思ってます。


映画『La Vie Cinématique 映画的人生』撮影素材より(本編に含まれない可能性があります)

僕は普段、詩を描くことはないのですが、アマゾンで村の人からの誤解があって出禁になった時に、初めて自分の中から詩が溢れ出してきた事がありました。電源もネットも当然ない環境で何もできず、2週間くらい小屋の中で過ごし、ちょっと発狂しそうになった瞬間もあったんですけど、その時にいい詩を書こうとか、韻を踏んで書こうではなく、詩でしか表現できない欲望が自分の中に湧いてきました。


そこまでエクストリームな状況を自由が丘で生み出せるかはわかりませんが、そういうポテンシャルが特に目的を定めないオープンスペースや時間の流れが一度止まった状態にはあると思っていますし、それが僕が映画の中で目指していることでもあります。物事の全てを変えることはできなくても、時間の流れを止めることによる可能性を生み出すことができるのではないでしょうか。





※2 黒柳徹子さんの著書「窓際のトットちゃん」(講談社文庫)で知られる、リトミック研究の第一人者、小林宗作さんが創設した先進的で自由な小学校 https://www.deaone-terraceclub.com/post/interview-kuroyanagi-1


※3 アピチャートポン・ウィーラセータクン バンコク出身の映画監督・美術作家。代表作:「ブンミおじさんの森」(2010)はタイ映画で初めて最高賞パルムドールを獲得。最新作『MEMORIA メモリア』(2021)

※4 タル・ベーラ ハンガリーの映画監督。代表作:「サタンタンゴ」(1994)はベルリン国際映画祭フォーラム部門でカリガリ賞受賞。「ニーチェの馬」(2011)を最後に56歳という若さで映画監督から引退



空間と時間を区切り虚構を生み出せば旅と同じ体験ができる


コムアイ:オープンスペースでは舞台と同じことを生み出せると思いました。空間と時間を区切ることで、虚構を生み出す。そして虚構に旅をすることによって、自由になることができると思いました。


例えば演劇をするとか、みんなそれぞれの役を持って即興劇をするでもいいし、一冊の小説を持ち寄って朗読してみるとか面白いと思います。集まった人たちが時間と空間を共有することで、その中では外とは違う価値観や概念が生まれます。


例えば同じSF小説を五人集まってその場で読んだとしたら、みんながその世界に行ってしまう。周りを見渡すといつも通りの自由が丘なんだけど、そこに二重の世界が存在する。一人でもできるんですけど、オープンスペースで大勢でやるのも面白いと思いました。


実際にどこか遠くに旅をして異文化に触れるという経験ではなくても、虚構を作るということは旅と同じようなことだと思うんですよね。


ー大人になるとつい、年齢を理由にいろんなことを諦めがちですが、新しい物事を始める時にどんな姿勢で臨めばよいと思いますか?

太田:子どもの時の脳と体の状態には戻れないのですが、アマゾンの人や子どものような感覚を保っていくというのは恐らく大人になってもやり方によっては可能です。


例えば言語学習ではよく「言語は子どものうちじゃないと身につかない」という俗説がありますが、僕は大人になってから何言語も身につけました。


その方法は既存の頭でっかちな言語習得方法や、本屋に行って文法書を見る代わりに「子どものような感覚で、外国の言語を自分に落とし込む」、これを意識的にやる事でした。

大人だからできないとか、もう遅いのではなく、その感覚にもう一度立ち返るのは誰もができる事だと強調したいです。


ーテラスクラブは人々の新しい交流が生まれていく場となる予定ですが、どんな気持ちで他者と向き合うことが大事でしょうか?


太田:僕らは今、細かいレベルの差異までを見つけて、最後の最後まで合っていないと敵だと見なしてしまいがちですが、実はそうではなくてもっとリラックスしてもいいんだよということを僕は映画を通して伝えていきたいです。de aone TERRACE CLUBも少しでもそう言うポテンシャルが生まれたらいいなと思います。応援しています。




インタビュー実施日:2023年6月7日


 

KOM_I(コムアイ)

1992年川崎市生まれ。「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内外でツアー・フェスに出演したのち2021年9月に脱退。 岩手のしし踊り、インドの古典音楽、アイヌ音楽など幅広い伝統芸能にインスピレーションを受けながら音楽性の幅を広げている。音楽活動の他にも、ファッション、アート、カルチャー、社会課題(『YAKUSHIMA TREASURE』,「HYPE FREE WATER」難民問題など)を積極的に発信している。映画「福田村事件」には女優として出演している。 Instagram: @kom_i_jp


太田光海(おおた あきみ)

1989年東京都生まれ。映像作家・文化人類学者。神戸大学国際文化学部、パリ社会科学高等研究院(EHESS)人類学修士課程を経て、マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターにて博士号を取得。アマゾン熱帯雨林のシュアール族の村に1年間滞在・撮影した初監督作品『カナルタ 螺旋状の夢』を2021年公開。現在制作中の『La Vie Cinématique 映画的人生』は2024年完成予定。

Instagram: @akimiota 

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